境内案内・御朱印

観福寺の境内


本堂

安永六年(1777)再建、安政六年、明治二十四年大修理、昭和五十四年屋根大改修並びに葺替工事を施工。
桁行九間、梁行六間、入母屋造、本瓦葺。棟梁当庄十九渕之住辻村源四郎藤原興庸、脇同中村之住元井朔次郎頼春、同オ野之住榎本文喜智維吉(棟札)本尊千手観音、脇不動明王、愛染明王。庫裡昭和四十二年再建、桁行七間半、梁行四間半、入母屋造、本瓦葺

書院

天保年間建立、桁行六間半、梁行三間半、入母屋造、本瓦葺、周辺に泉水と築山を配する。
多人数の座禅会はこちらで行う。水の音と鳥や虫の鳴き声がよく聞こえる。

開山堂

永六年(1777)再建、安政六年、明治二十四年大修理、昭和五十四年屋根大改修並びに葺替工事を施工。
中央に開山法燈国師像と草創覚元禅師像を安置する。右に末寺の本尊さま、左に法燈国師が唐より受け継いだ20体羅漢像を安置する。
座禅単を配置し、10人までの座禅会はこちらで行う。

山門

安建立年代不詳、桁行二間半、梁行二間、切妻造、本瓦葺、四脚門。平成十二年に老朽化のため同様式、同設計で再建。

鐘楼

昭和三十四年再建、二間四方、入母屋造、本瓦。毎年末、除夜の鐘を年越しそば無料提供し行う。

本尊千手観世音菩薩坐像春日作(寺伝)

当地域最大級の大きさである像高100センチメートル。蓮座、光背も入れると3メートルを超える像である。玉眼、寄木造、鎌倉期製作。後補銘によって天明七年(1787)に修理されているが、慶派の手になる鎌倉様式を明白に残している秀作であるので、当地方として貴重な仏像である。脇侍には右に不動明王、左に愛染明王とし、臨済宗にはない様式である。開山法燈国師以前か、真言宗高山寺退席後の龍賀法印住持時代に、真言系寺院であった可能性が高い。

史跡龍賀法印の墓

永禄七年(1564)法印龍賀防州に生まれ、慶長十二年(1607)
田辺高山寺の第三世となり、寛永元年(1624)に当観福寺の第四世となる。その年の六月三日、同所中村追馬が渕(中浜)において端身印を結んで入水往生する。享年六十一歳。門前の池の蛙の鳴き声を封じた。「鳴かずの池」の伝説にはじまる多くの伝説を当地に残し、慶長から元和にかけて、その徳行において厚くその秘法を修するに効験大であった当地方傑僧の墓として貴重である。
毎年の厄除け祈祷はこちらで行う。

御朱印

紀伊之国十三佛霊場

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を含む、根来・髙野から南紀白浜までの巡拝旅。観福寺は第十番札所。

御朱印御影:阿弥陀仏

ぼけよけ二十四地蔵尊霊場

わが行く道に光を見出し、老いも若きも生きるよろこびと生命力を取り戻すご縁を頂く霊場。

御朱印御影:千手観音

近西国三十三ヵ所観音霊場

江戸時代から続く歴史ある霊場

御朱印御影:千手観音

納経所

御朱印受付:午前8時〜午後5時

※特に土日祝の午前中は法要を行っている場合が多いため、本堂拝観や納経を30分ほどお待ちいただく場合があります。